昭和51年12月19日 特別奉修委員 (末永信太郎)
今朝から、秋山さん、昨夜こちらへ泊めて頂いて、四時の御祈念から頂いて、親先生のお出ましを拝ませてもろうて、もう、それこそ異様な感動を覚えて、まだ感動が続いてるという訳です。本当にまあ、良い親様を持ったもんであるというのが、その、本当に合楽にご縁を頂いたということが、その感動の元らしいです、探ってみると。本当に私はあの、合楽で助かっておるという人は、そういう人達だと思うですね。
合楽の一つの感動というようなものが、自分の感動であり、同時に、合楽にご縁を頂いておったということが、良い師匠、良い親を頂いたということが、それこそ、( )という、あの、歌を半ばあの、言いながら、こういう時に、こういう先生にめぐり合うたという、( )の一生というものが、そういう、その、おくり合わせを頂ける人、頂けない人(とは?)大変な違いだ、と。ね。例えば、同じ金光様の御信心を頂いておっても、なら、合楽で今、秋山さん的、あの、合楽の信心をキャッチしておる方達は、おそらく皆がそれが言えることであって、私の生涯というものが、合楽がなかったらどんな風に悪い方に変わっとったか分からない、どうなっとったか分からないということなら、また、事実そうだと思うんですよね。そういう信心を、私は頂くということの内容が、どういうことになって来るかと言うと、原さんがお届けしておられますように、本当にあの、先日ある看病をさせて頂いて、ちょっとこの頃、体が悪いから休んでおられる。それが、もう本当にあの、もう、行き届いたことで、あれが食べたいと言やあれ、これが言う時にはこれ、もう、行き届いたあの奉仕を受けて休んでおられるんだそうですが。
もう、寂しゅうして寂しゅうして、夜はもう真っ暗で寝よったけれども、もう、電気つけて寝らにゃ寂しゅうてどんこんされんちゅうごと、寂しいと言われる訳だったそうです。で、その自分というものを見た時に、私の方辺りには、もう本当に私が休んだからと言うて、まあ、お母さん、家はお母さん(あれ?)と言うてくれるモンな誰んおらんち。
と言うて、なら悪気で言わんとじゃない。まあ、言うならば気が付かんとです。いいや、あれもしてくれ、これも持って行ってくれ。そういう中に、どういう中にあっても、あの、心を神様に向けた途端に有り難く、そのことが有り難うなるということを、原さんが後で頂いた。もう、私はそれを聞かせてもらって、原さん、合楽の信心は、もうそればいと言うて。うん。
どんな時であっても、あの、とにかく、心の上に( )、どんな時であっても心が有り難いのである。心を神様へ向けた途端に有り難うなって来るという、そういう頂き方が出けておる人は、おそらく、いよいよ秋山さんの言われるように、なら、本当にいい親に教えを頂いたものである。こういう(時期?)には、まあ、それこそ( )に生まれ合わせたもんではあるという、その、まあ、実感が、その度になかろうか。今、合楽で助かっておるという人は、そういう人達だと思うですね。どういう場合でも、と神様に心を向けさえすりゃ、自分が助かる。ね。どういう場合であっても、本当にあの、心を神様に向ければ有り難くなる。そういう人が、私は助かっておる人達だと、今、合楽理念ということが言われるが、その、秋山さんの例と言い、原さんの( )と言い、もう、本当に合楽理念をもう、繰り返し繰り返し(言い?)、さあ、説明せろと言うて説明出来ておる訳じゃないけれども、もうすでに、次々と沢山な体験を頂いて、もう、血に肉になって参る人達だと、こう思う。
そういう人達が、まあ、今まで疎かになっておったことに、次々ことに改めて取り組んで行かれるということ。もう、言うならば、合楽に完璧の信心に入って、いわゆる、言うなら有り難いという生活を、これからいよいよ、言うならば、いつもいつも有り難うなって行くという生き方であろうと同時に、自分でも位がついて行きよることが分かられる( )が来る。
いわば、合楽で助かっておるというのは、そういう人達だと思うんですね。まあ、こちらその、御祈念でお参りして見える人達、特別奉修委員の方達( )まず皆、そこんところのおかげを受けておられる。そのおかげを今の全合楽の( )信奉者に、あの、合楽で助かるということは、こういう助かり方だということをね、修行して頂きたい。また、それを( )活動の根本にして頂きたいと思いますね。どうぞ。